保証人の歴史

(文: 結城)


 連帯保証人制度の改革を図る上で、過去の事例において学ぶべきところがあるかもしれませんので、制度の成り立ちや運用方法を調べてみました。

[飛鳥時代以前]・・・神代

 保証人名称:【ウケヒ?】・・・確たる証拠はありません

 ウケヒ(宇気比(古事記)、宇気○(日本書紀、○は難しい漢字)、祈 誓約 等という字が当てられていました。)という神に誓う行為が、保証人の誓約につながったと予測しています。(日本担保法史序説、小早川欣吾著)

 当時の日本には文字が無く、漢字が中国より輸入されてばかりで、一部の知識階級しか言葉にして書き残す習慣はありませんでした。よって、一般に契約書を残すような習慣は無かったはずです。だから、契約の証人となる人が必要で、その証拠人が第三者の保証人につながったと思われます。

 具体的には、「吉田さん、岩崎さんへ米1俵かしてやってくれ、おれが貸借契約の証拠人(契約自体の証人)になるから。もし岩崎さんが来年返せなかったら、私が返すよ。」みたいに、保証人の役割が形づくられたと思われます。

 以下で述べる償人制度などが唐突に生まれる訳はなく、律令制以前より運用されていたと考える方が自然です。

責任の範囲:
 ウケヒした第三者が債務者と同等の責任を持っていたかどうかは不明です。

[奈良時代、平安時代]・・・大宝律令以後、武家政治まで

保証人名称:【保人】・・・歴史上、法律(律令)に残る最古の保証人

 唐の律令で規定されている保人を、そのまま大宝律令で規定しました。ただし、古文書中に保人と署名している契約書がないので、実際に運用されていたかどうかは不明です。

責任の範囲:

 主債務者が生きている間は、主債務者が無資産であっても、保人は代償義務が無かった。主債務者は、強制執行を受けそれでも完済できない場合は、妻子や自身を質入(返せない分を働いて返す制度。でも、多くは人身売買でした。)して債務の完済を命じられた。このように、主債務者が生きていれば、保人は債務を負担しなかった。このように、強烈な「催告・検索の抗弁権」がありました。

 主債務者が逃亡したり死亡した場合に、初めて完済の責任を負うものであった。なお、保人が数人いた場合、生き残っている保証人が全債務を分担して負担した。このように「分別の利益」も運用されていました。

 なお、保人の義務は一代限りであったようです。

保証人名称:【償人】・・・正倉院の古文書に残る最古の保証人

 実際に、この時代は償人が運用されていた。証拠として正倉院の古文書には、償人連署の契約書がかなり残っています。

 しかしながら、大宝律令に償人を規定する条文はありません。

責任の範囲:

 主債務者が死亡、逃走にかかわらず債務不履行の場合は、債務返済の義務があった。その他は保人に同じ。保人の責任は主債務者の死亡、逃走の場合に限定されていたので、保人より責任の重い償人制度が運用されていたと思われます。

[鎌倉時代、室町時代]

保証人名称:【請人】

 前時代に慣用されていた償人が、請人に変化したと推定されている。この時代に行われた徳政令(借金棒引き)が関連していると思われる。

責任の範囲:

 償人と同じ。よって、主債務者が債務不履行の場合は、債務返済の義務があった。


[江戸時代]

保証人名称:【請人】

 前時代から引き継がれている。その他に、請人と同じ責任を持つ証人、加判人もいた。証人、加判人は、地域や誰に対しての保証かにより、請人か単なる証拠人(契約自体の証人)になっていました。

責任の範囲:

 償人とほぼ同じ。よって、主債務者が債務不履行の場合は、債務返済の義務があった。ただし、大宝律令と同じように、まず主債務者に身代限(強制執行)をかけ、債務が残る場合、請人に請求できた。主債務者が死亡や逃亡して相続人がいなければ、請人が債務支払いの責任を負った。そして、請人の債務は一代限りで、相続はされませんでした。

 また、文献によると必ずしも5人組が請人になっていたとは限らなかったようです。

[明治時代以降]

保証人名称:請人証人

 基本的に江戸時代の制度を存続させたものである。

責任の範囲(明治6年太政官第195号)

 契約書に請人証人が債務支払いの責任を負う文言があれば、請人証人は支払い義務がありました。単に請人証人として肩書きしただけで弁済引き受け文言が無いときは、弁済の義務を負いませんでした。

 ただし、この布告は保証人の相続人も債務を相続する事としており、これ以降現在に至るまで運用されています。(歴史的意義は大きい)

 なお、特約をすれば、主債務者が死亡や逃亡でなくても、保証人支払う義務を負いました。

責任の範囲(明治8年太政官第102号)

 弁済引き受け文言が無くても、弁済の義務を負った。肩書きだけの請人証人ならば、契約上意味が無いと考えられたからです。

保証人名称:【保証人】

 契約書に「債務者と連帯して保証債務を負い、」と書いてあれば、通称連帯保証人という。日本の金融機関の保証人は、ほぼ100%連帯保証人です。また、民法で規定されていませんが、金融機関と個別に包括根保証契約した連帯保証人を、包括根保証人という場合があります。

 なお、連帯保証人とは、保証人と連帯債務者の責任をあわせもった人と解釈されています。

責任の範囲(明治29年明治民法公布)

 現在に至るまで運用されていますので、詳細はここでは記載しません。尚、連帯保証人には検索の抗弁権、催告の抗弁権、分別の利益はありません。


以下考察

 律令体制以降現在まで、時代により呼び名は違いますが保証人制度は、一貫して債権者の権利を確保するために、発展してきました。

 しかしながら、律令制時代から現在まで時系列的に見ると、債権者に対しての保証人の支払義務の寄与度は明らかに違ってきています。保証人の責任が主債務者に比べて、大きくなってきているのです

 大宝律令制では、主債務者が生きてさえいれば、保証人の支払い義務はありませんでした。それから、主債務者生きていても債務不履行の場合は、債務の支払いを負うようになりました。

 明治初期に至っては、保証人の相続人も支払いの義務を負うようになり、明治民法に至っては、催告・検索の抗弁、分別の利益を有しない連帯保証人まで運用されるようになりました。また、この後に包括根保証人という責任が非常に重い連帯保証人も、民法(平成16年以前)で規定されていないにもかかわらず運用されています。

 なぜ、このように保証人の支払い義務は強化されたのでしょうか。理由は、債権者保護の強化を図ったものとしか考えられません。特に明治期では、人身売買が禁止され、破産法などが整備されてきました。その影響があり、主債務者から債権回収をするのがだんだん難しくなってきたので、その分、連帯保証人から楽に債権回収が出来るようになってきたと考えられます。


 奈良時代の保人が、律令(法律)で規定されているにもかかわらず、律令で規定されていない償人が運用されていたのは、現代の「ただの保証人」のように、民法では規定されているが、現実はほぼ100%連帯保証人(含む根保証人)が運用されていることと同じようです。

 現代でも1300年前と同じように、歴史が繰り返しているおもしろい事実が判りました。


 また、五人組制度から保証人制度生まれたような書き方をしている文献がありますが、実際は上記のように有史以来保証人制度は確立していた。特に奈良時代以降は法律によって規定されていました。


※参考文献 日本担保法史序説、小早川欣吾著
      日本法制史、牧英正、藤原明久共著
      日本法制史(1)、高柳真三著 


補足解説1 (文:吉田)

 私は拙著『連帯保証人』で、連帯保証人の歴史についての項で、連帯保証人の歴史を「連帯責任の歴史」と「債務保証の歴史」の2つに区別して、自分なりに調べた数少ない文献をもとにまとめました。 「連帯責任」の歴史は律令時代の「五保制」という一種の相互監視のための戸籍制度が始まりであり、豊臣秀吉の時代に「五人組」ができて、江戸時代にも引き継がれ、これは相互監視のほかにも相互援助のためにも機能していた。 一方、「債務保証」の歴史はさほど古くなく、江戸時代の「連判借」「連印借」がはじまりで、これは今で言う連帯債務者みたいなもので、全員が連帯責任を負うが、そのうち誰か一人が集中的に責任を押し付けられることは基本的にはなく、とにかく最初から最後まで連帯で、助け合いの精神が脈々と生きていた。これが明治時代にできた「連帯債務法」の原型となり、現在の民法の連帯債務、保証債務の項のベースになっている。 ・・・というようなことを書きました。
 しかし、上の結城さんの解説を読むと、どうやらそれだけではないようですね。私も非常に勉強になりました。
 そんなわけで、既に拙著をお読みになっている方は、この結城さんの解説も参考にして頂ければと思います。

補足解説2 (文:吉田)

 ネットで探しても、連帯保証人の歴史的背景について「これだ!」と言えるような新鮮かつ詳しい資料はなかなか見当たりません。たまにあっても、多くは少し古い拙著『連帯保証のカネは返すな』に書いてある記事の受け売りのようなもので、「江戸時代の五人組に端を発する前時代的な制度である」というような論調で終わっています。 まあ、それだけ資料が少なく、本格的に研究している専門家も少ないということなんでしょうね。

 そんな中で、ひとつ、私が本を執筆するうえで資料探ししているときに、非常に興味深い資料を見つけましたので紹介します。『立命館法学』2000年3.4号上巻(271,272号)112頁 の 「明治前期連帯債務法の構造分析によせて」(大河 純夫 著)  という論文です。 やや難しいかもしれませんが、興味ある方は一読してみてください。

 ほかにも何か、保証人制度の歴史について詳しい方がいらっしゃいましたら、今後の参考にさせていただきますのでメール下さい。 当ページにて掲載させて頂くかもしれません。


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